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マザー・テレサの言葉

マザー・テレサの言葉



「私達に偉大なことは出来ない。



でも、小さな事を、



偉大な愛情を持ってすることは出来る。」




この言葉は、あるTVショーで教えていただきました。



とても感謝です。



そうだな、本当にそうだな!っと思いました。



すぐにできる ‘笑顔’ などもそうですよね。



偉大な、でなくとも、少し大きな愛情を持って



(そう意識して)、笑顔になったら、



どれほど良い波動を、周りに与えられるでしょうね。



そうしたら、神様も喜んで手を貸してくださり、



偉大なことが、なされるかもしれないですね☆


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人は好かれる そして嫌われる

またいつしか好かれる

気にするな 

ただ冷静に進めば良い

地球だから




笑顔と 幸せな言葉 

そして人に親切にすることを

心がければ良し




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「大いなる自己」が進もうとするように

 いつものようにトーラス気功をパティオで行なう。

 今日もお天気が良いねえ~。

 周りの草花と共にエネルギーを循環させる。

 体を緩め、自己の全てを天へ地へ自然へ明け渡す。

 ちなみに車から下りて家へ入る途中のパティオです。

 片手にはタッパウエアを持ったまま(息子達の朝メシが入ってた)、

ショルダーバッグを斜めにかけたままの姿(笑)。

 そのまま直ぐやりたかったから。でもいい加減途中で

タッパウエアは置いた。

 「変な人」確定!

 自分としては、‘ハイ、周りをすっきりし身も楽にして、今から

気功をしますぞぉー!っとお膳立てしなくても、今!っと思った

ときに何時でもできるようにしたいのです。

 でもまあ、タッパやバッグくらい直ぐ置きゃいいのにね(笑)。



 お花に草に空気に、、、全てに「ありがとう」と言いたくなった。

 何度も言った。この感謝をどう表現したらいいのだろうとウズウズ

するほど、「ありがとう」という思いになった。


 無になりたい。無になろう。全ての為に自分が無になってクリア、

クリーンになりたい、と感じた。

 自信も無い、内容も無い、器も無い、実績も無い、、、でもその

あたかもマイナス的な無を、「本当の無」にする。

 そして世の中を、全ての存在を、神?の全ての創造を無にする、

そして神?をも無にする、ゼロになる

というイメージ、、、息ができなくなる、、、

まもなく意識が入る、、、目を自然に開くと光が入る、、、

自然と笑顔になる。


 もともと神?はお一人で、創造を始めた。

「自己中心」は本然のもの。御自身のみからスタートされたのだから。

 他者は無かったのだから。

 そこから神?は、利他、完全他の為に存在する神?に成長された。

 神の成長段階があった。私達人間はその成長過程を同じように

生きている。この3?4?次元の世界で。

 無から出るインスピレーションでナチュラルに生きる。

‘インスピレーションにまかせっきり’‘流れるまま’というのでもない。

‘人間自己の判断で’‘人間自己の好きなまま’というものでもない。

 
 ドクター・デヴィッド・ホーキンズの言葉を一部借りるなら、

(*記事の右に日本語版、左に英語版があります。立ち読み可能です)


‘「大いなる自己」が進もうとするように’


な感じでしょうか。


 
 人はそう感じている間に、どんどん「マインド」で考え始めちゃって

います。 

 また無にしつこく戻ってみる。トーラス気功をして

全てを明け渡す。手放す。



 もしたった今死んだら、次の世界へ進もうとする時地上を振り返って

私はどう思うのだろうか?という疑問を自分に投げかけた。

 
1;もっと成長したかったな。

2;もっと人々の為になる自分になりたかったな。

3;わが子をより良く育てたかったな。

4;与えられたこの心身をもっと磨きたかったな。(見た目も。笑 )

 正直、心に浮かんできたのはこれらでした。


 じゃあ!っと意気込んで人の為に何かしようと今靴を履き

外へ飛び出すのか?

 結果としてそれもアリでしょう。

 家で平和を思い念じる? それもアリでしょう。

 
 人それぞれ、当てはまる成長段階もメニューも様々でしょうね。


 私は個人的に、もう意気込んで何かしなきゃと模索する自分には

見切りを付けました。

 でもかといって家で日々気功や瞑想に明け暮れて年をとるのも

やはり違うなあと感じます。

 「そりゃそうだろう!」と怒鳴られそうですね(笑)。


 兎に角、無から出たインスピレーションから自分の意思に移行する

瞬間の「元心」によって生活を象って生きたいと思うのです。

 この地球に生まれたからには、人と人との関わりは、必然、

逃げてはいけないものですよね。

 単純シンプルに、他者へ何か良いエネルギーを伝達したいとは

誰しも思うことだと思います。

 
 このお粗末ではある私のブログの記事も、気の画も、物語りも、

皆何か良いエネルギーを発信したい、という単純シンプルな思いから

やっています。


 今の自分は、冷静な時、全てのものに表現しつくせない

感謝の思いが沸きます。「ありがとう」を魂の奥から言いたくなる

んです。

 でも全てに魂の奥から「愛しています」とは、まだまだ言えてません。

 全てに、ではないんです。一部だけにしかいえていません。

 これが全てに、自分に偽り無く「愛しています」と言えるように

なれる自分に成長することが今の目標のようです。 


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トーラスで気功

 今日もお天気が良い。

 パティオに出て、カリフォルニアの空を見上げ、

最近の日課の一つとなったトーラスの形で気功を。

 ああ、先日植えたすみれの花々がキレイー!

「まるでアタシのイメージだわ~ん」

と言った時のポニー(娘)のリアクションを楽しむ。

(彼女ならではの天然ユーモアがなかなか!)


 ちゃんとした気功なのかはどうでもいいんだ~(笑)。

 私には気持ちの良いエネルギーが来るのです!


 そこで今朝感じたのは、

 
お掃除!

部分的な掃除だ。

 息子達の部屋の完全に要らないと分かっている物の

処分だ。

 夏休みまでに家をシンプルスッキリにするのだ!

 当人達とやりたいのだが、なかなかそうならない。

 や、もういいやっ!かあちゃんが手を付けるぞっ。


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なぜ無になったらいいの? 2

 無になると、天(純な所)から

インスピレーションがくる。

それによって生活する。



というのは、



「自分の真の幸せに向かって最短距離で進めるから」

あるいは、

「真の幸せの中で生きながらスムースに成長できるから」




 人によって持っているカルマが違うから、平たく?見たら

ラッキーを掴むのに時間がかかっていそうな人と

短時間で掴む人がいるように感じますが、

立体的に?見たら、皆同じく幸せに向かって進んでいます。

 平等と言えば平等です。


 自我で力強く生き成功して生きているような人であっても、

違う部分で、違う時期で、、あるいは、来世でツケ?がもどる

ようです。 子孫にも影響があるかのように見える地上ですが、

兎に角自分には、愛による天?からの修正のチャンスを

頂く事になるようです。


 罰とかいうのではなく、その人の為の修正です。

‘どうしても修正してくれる’ようです。(^-^)

 
 もし、子孫のことは知らない、でも自分は自我の力で踏ん張って

成功できたからいい → もし本当に自我の力で積み上げたのなら、


やっぱりその後、又は 来世(霊界生活、あるいは生まれ変わって

からの生活)に、親子間の情含め、

ツケ?を持って生きる事になる。



 今の時勢は、このような事を受け入れられる地球人が増え、

日本人においてもよりスムーズにカルマを整理し

幸せに向かう人が増えていると聞きますよね。


 そして自我で力強く成功を掴もうとする人は、

以前より力強く?‘起動修正’してくれようと

天に?愛される、

そのような事が露骨になってきた時代、とも。


 自分のマインドで考え進むのは否定はしません。

 マインドも貴重な人間の要素。

 でもインスピレーションで進むほうが最短距離で、

また楽(スムーズ)だということです。

 一見 試練の中に入ってしまったように見えるときも、

それはカルマや、自己が選択した方向により起きたものを

整理、修正、そして成長させようとしている天?の計らい

です。

、、、なかなかそう思えない時もありますけどね。
 


 自己にも選択権はあります。

 私達はロボットではありません。天?に愛され、

そしてお互い愛し合う人間です。

 あえて自己が選んだ起動なら、そこから天?は

なんとか導こうとします。いやおうなく修正だってあります。
 




 でもこういうことは ‘証明’はできませんよね。


 あくまでこれは ‘信じる’領域、ですよね。



 私は私の‘元心’でナチュラルにこの領域を

自分の責任のもと良かれと判断し、生きることに

しています。

、、、というより無意識に進んじゃっている。


 そして 感謝しています。



 皆さんは皆さんです。


 あくまで私の提案として、元心に戻ってみることを

表現しているだけです。 (^-^)



 自分自身が心の奥底から納得し

笑顔で選べる生き方をして下さいね☆


                                                   
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なぜ無になったらいいの? 1

 なぜ無になったらいいの?


 無になると、インスピレーションが来ます。

 人によっては、宇宙からとも言うし、

神からとも言うし、何か純な存在から、

愛から、天から、完結した自分から etc、、、

 何でもいいです。そういうものからです。(^-^)

 そして、「インスピレーションよ、早くおりろ!」

と催促してもいけません。

 頼ってはだめです。依存してはだめです。

 そういう欲も手放す。


 無の感覚って最初は分かりにくいです。

 何も考えずロボットのようになれという

ものではない。

 受身で待っていろというわけでもない。

 受身ってあまり良くない。

でも我で生きるのではない。


 使える表現としては、


 「無に素直でいること」 「無にオープンでいること」


ですかね。

 自分に嘘をつかず、まずありのままの今の自分を出し、

それを(一つ一つ)癒しながらクリーニングしていき、

荷を降ろし、天、地、自然界、宇宙などに

荷を明け渡す。自我を明け渡す。


 チャクラ全般、特に第7チャクラ(頭の上)や、

第8チャクラ(頭の上のもう少し上というか)を

オープンしておき(自分の閉ざされた所を安心して

開けておく)、、、



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元心へ ここで一度リセット

ここで一度リセットします。



 元心へ。



 以前全てを手放し無になれたと思っていても、

無意識に、インスピレーションではなく

マインドで考える生活になりがちだ。


 しかしこれもゆるく受け止めよう。

 マインドだって人間の素晴しい要素だし。

 その人の性格によっては、無にならなきゃと、

ガチガチに考えてしまう人もいるので、、、。

 ゆるく、柔軟に、、、。

 何事も強制、プッシュはない。

 自分の良心側の意識で無になろうと思うなら

 やってみればいい。



  方法としては目を瞑り、瞑想。 
 
 慣れてきたら、あえて瞑想体制にならなくても

今の状態のままフーっと息を吐き、

口から手足の指先から(どこからでも)、

自分の全てを(天に、地に、自然界に)

明け渡し、無、ゼロ(に近く?)になる。


 ~~~

 我を手放す。


 コンプレックスを、プライドを、

 敗北を、栄光を、
 
 悪い記憶を、良い記憶を、

 傷を、宝物を、

 肩の荷を、
 
 知らない分からないという恐れを、

 私は知っているという欺瞞を、、、。



 楽になろう。



 それから何となく自然に、

先ほどまでやっていた行動(生活)に

戻る。



  我知らず 笑みが浮びます。



                                                   
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判断は自分の責任の元で

物心ついたときから、子供であっても、

ある程度の責任は持てるようになる。

持てる練習を少しづつするべきだと思う。(親が促して)


親は良かれと思うことを子供に教える。

でも強制はいけない。愛が動機でも強制はいけない。

愛という名にかくれた親の‘自我’で

押し付けてはいけない。

良かれと思うことを一生懸命教えたいのは

親心として当然だ。



でもそれプラス、



子供なりの、 「創造性」や「責任」を伝えて、

そのスペース(チャンス → 本人の感性を働かせる事、

舞台、時間 等)を与える。



最終的に何が良いかという判断は

本人が下せるようにしてあげる。



しかし、 ‘子供の人格を尊重する’と言って

あまり小さいうちから、親の責任の一部を放棄し

子供に好きにやらせるというわけではない。



やはり子供が上手く成長できるように、

「陰ながら手綱を引いている」というところでしょうか。



人間は「力ありそうなもの、信頼できそうなものに

依存

してしまいがちだ。


でも依存した後、裏切られた(と本人が思った)時には

その人やものを批判する、中傷する、恨む、攻撃する、

周りを巻き込んで負のエネルギーをばら巻く。


勝手に依存し信頼してフォローしていったのは

自分なのに。



こっちが良いんだよと、他者を強制する事、

力づくや 恐怖心をあおって信じさせること、

固定観念を ‘常識的考え’ 等と言って頭から

それ以外を非難すること、


又、力ありそうな人や事に依存する事、

自分のエネルギーの大幅を放棄して他の‘力ありそうな存在’に

頼る事、常に他に責任持ってくれる人(リーダー)を探し、

自分はフォロー役にまわろうとする人、、、

フォローはいいけれど、

その自分の信頼すること意外を批判する運動をする人。

(命に関わるような明らかな諸悪に対しては批判運動するべ

き時もあるが、でもこれも自分の一時の単純な思い込みも多く、

又、大勢の人が同感だからといい、だから正しいんだと判断し行う人、

又、相手から完全に償うチャンスを奪いながら償え!と

攻撃する人)



こういう人や組織は、一旦は繁栄した様に見えたとしても

最終的には成功しない、「宇宙の法則がそうなっている」

そうです。


どんなに真理真実をつかんでいたとしても、

どうしても成功にいたらないように、

宇宙がそうなっている、そうです。


難しい世に神様創ったのものですね、、、と、

たまに正直に神様に訴えます。


でも神様は怒ったり悲しんだりはしておられないです。


私が前向きに歩んでいるなら。



しかし世界を造る最初の一齣である私自身をみると、、、

反省、、、。



世界の平和が成されない原因は、

私自身の中に、ありますね、きっと。

依存心も明け渡す

世の中には、生きていく上で、

参考となる良い教えを下さる先駆者達が大勢いる。

色んな分野で、色んな段階で、先駆けて経験し

シェアして下さる方々が。


人は自分にとって必要な事、プラスになる事、

感動し賛同できる事を言ってくれる人に魅力を感じる。

愛情を感じる。


あくまでその内容を参考にするのは、

又フォローして歩むのは、

自分の責任のもと

最終的に自分で判断して 参考に

使わせていただこう。

魅力ある内容そのものを。

それを教えてくれた人に感謝し、尊敬の念をもつのはいいけれど、

‘依存するべきではない’


人は魅力あることを伝えてくれる内容もさることながら

‘その人’にも魅力を感じる。

当たり前といえばそうだが、

エスカレートすると‘神のごとく’尊敬し、

その人の言う事はなんでも正しいと単純に信じてしまう。

素直な人はなおさらかもしれない。


依存


しかしお互い人間だからその後何があるか分からない。


もしもその後ちょっと不審な点を感じる時がある、とする。


1.「人は暫く信じきっていたものにあるとき

「あれっ?ちょっとおかしい?」という思いが頭をよぎる事があったら、

『いやいやおかしくない!lこのまま大丈夫信じていいんだ』

と、自分の脳がその不審をかき消そうと働く」

 ↑ 「ダヴィンチ・コード」から引用。


2. いよいよその不審が何度も顔を出し、はっきり疑い出すと、

その信じていた人を批判し、中傷し、恨み始める、

多くの人にあの人は大嘘つきだなどと言い広めようとする。

(信じ続けていた自分自身への怒りと、自分のような被害者?を

増やしてはいけないという正義感?などで)



私は二つとも、とても嫌になる。情けなくなる。私も含め

この世に生きる人間て本当に弱いなあと、涙が出そうになる。



人間の堕落性とは、 単純な一言で言うなら、


依存心


だと私は思います。


為になる教え、真理探究、宗教 他、真剣に生きることを

かんがえるから良い教えが現れ発表される。

でも、こちらが正しい、あちらは間違っている、などと、

どんどん批判、争いになり、果ては殺し合い、戦争にもなる。

どんなに真理をつかんだ宗教も、

依存し続けるその人は、逆に弱くなってくる。

頼り、弱いまま、改善されない心のまま(アドバンテージを

とった自分だと信じていたい等)の信者が増えるにつれ、

他との争いが生じてくる。



信じ依存し、その後、その教えで傷つけ傷つけられ、

もしその教えや団体が信じられないものとなっても

それまではお世話になり、エネルギーも沢山受けて

きた教えや人々なのだから、それまでを感謝して、

そして依存していた自分を反省し、そして独立し、

良いものは自分の責任のもと、あくまでも参考に、

自分で感じ判断していくべきだと思う。


特に決まった宗教を熱心に続けている方々へ。

いかに今の人生のミッションを果たすか?

まず 無になる → 全てを明け渡しゼロになる


過去の記憶、潜在的に持っている記憶も全て全て、

生まれる前の記憶、血統的なものは勿論、果ては地球人として生まれてくるもっと前の記憶も、

神とつながっているのなら、天地と人間創造前の記憶(?)も何もかも、

自分の体も(イメージとして)、霊肉の細胞に染み付いたクセも、

持ち物、周りの人々(イメージとして)、、、

兎に角全て手放す、


という感覚。


~~~~~

ゼロの状態の心?、 元心、 (祖の心?素の心? 元々在る‘良い?’心、

で、理屈抜きに「何か」を感じることができるはず。


理屈、解読、、、は、この3次元(4次元?)の世界のヒトに

分かりやすく裏付けてくれるありがたいツール。



もし ‘こうあるのが良いに決まっている’などという思い込み、固定観念があると

もうその時点で真実が分からなってしまう。

それら全て、全てをとにかく手放してみる。

今まで疑っていたもの全て、

今まで信じきっていたものも全て。

場合によっては、それを何日か続け、その日その日に感じる方向へ

身を任せる。

その期間(というか何時も)、入ってくる‘マインド’を

根気よく手放し手放し、無になる。メディテーションして無に戻る。

そのうち、

一歩一歩と 真理、自分の進むべき方向へとおのずと向かっている。

もし今まで信じていたものが真理真実ならば、

全て手放した後に、再び自然に真理として戻ってくるはずだ。

もし、戻ってこなければ、執着なく、感謝して、そのまま手放してしまえばいいことだ。

人間的に習慣的にしがみついている事はない。


ただ出会ったものは、自分の人生に意味のあるものだったと思う。

何かしらの価値があったものだ。


~~~~~~~~

神は、天地 人間創造前の御一人だった時、いわゆる自己中心性を持った

お方だった。

他を愛する、他の為に、という対象が存在していなかったので、

言ってみれば普通のことだ。

親なる神が生んだ 人間はその親の ‘素’ を受け継いで生まれている。

勿論「無限な愛の素」も受け継いでいる。

そして神が成長期間があったように人間も成長期間をもって

自己中心性を上回った?(卒業した?)他のために生きる、

親のような情で他を愛し大事にする ‘真の人間’ にあきらめることなく目指していく。


私は、理論的に伝えられるタイプではなさそうです。

いえるのは、

シンプルに、誰でも共通にナチュラルにできる学習手段の手始めは、


まず 無になる、全てを手放し(明け渡し)ゼロになる事。 

心を無にするということです。持つもの全てドネーションして独り者になって

心身貧しいものにまずなれ、という意味ではありません。

まあ、それも一つのハイレベルの修行のようですが。


ただ心で無になるのも最初は難しい人もいます。

あの名誉が忘れられるものではない、とか、

あの痛みは忘れたくても頭から細胞から忘れ去ることができない、とか。


でもあきらめずに 手放すトライをする。

一つの素晴しい方法の参考として、

ハワイ人の、ヒューレン博士の、

「ホ、オポノポノ」 があります。


あれによると、「自分を癒す」ことによって、手放す、記憶を消去する、

ようです。

やはり「癒す」というのが、ゼロになる良い方法のようで、

私も時々使わせてもらってます。

「癒す」を意識して使わなくても、全てを消去しゼロになれるヒトは

それで良いかと思いますが、

たぶん無意識の「傷」を消し去るのは、塗り薬のような

「癒し」があったほうがたぶんいいのだと思います。

元心 が全て分かる

元心、、、という日本語はありませんが、私が作った造語です。


祖心、素心、原心、源心、原始心、本心、魂、良心、、、

どれがしっくりくるかなあと思いましたが。

本心、魂、良心(これら既にある言葉)は、地球人的なレベルの元の心、

という感じが個人的にはします。


元心、、、元々どんなヒトにもある本髄の情というか、

情の中の本能にも似た、

在って在る‘良い’情、

そのヒトのみが管理しうる、

創造の神も手出ししずらい、瞬時に発動する情。


これによって親なる神様が願う

「親なる神以上(親以上、親を乗り越えた)」の

本当の孝行息子娘になれる希望の要素のもの。

( ↑↑↑ なれるなれないは別としてですが)



‘神ははじめ御自身のみだったので、自己中心のお方だった’

というのはごく自然のことだ。

愛する対象を創造しようとしたときから

「他を愛する、他の為に生きる、尽くす」

という存在に成長された。

対象の状況に伴い、さらに成長された。

神は元々在って在るお方。初めから完全完璧で完結したお方、と

単純に定義づけてしまうなら、神様にたどり着くのには

限界の壁ができてしまう。


~~~~~~~~


創造理想世界、天国世界(地上の天国、霊界の天国、他次元の天国?含む)は

どのようにしたらできるかというと、

お互い理解しあい愛し合い、、、

為に生きる私達となり、家庭レベル、氏族レベル、民族レベル、

国家レベル、世界レベル、宇宙(他次元含む)と霊界つつんだレベルで

親のような無私の情で他を愛することが自然にできるように、、、。


「為に生きる」 とは


他が存在してのこと。


神は元々御自身のみだったゆえに自己中心要素を

備えた存在で、神が創造した私達は

元々自己中心、利己心を備えている。 



天国人、天国世界を造るためには

まず、「自己中心」から創られた対象があってはじめて

「他のために生きる」のが可能になる。


けして自己中心要素を受け継いだままの状態でその欲のまま生活しても

天国はできない。


神も成長期間でそれを乗り越えたように、

ヒトも乗り越えて、成長した神と同等(ゼロの地点)、

そして神以上(親を乗り越えた子供 → 親が嬉しくてたまらない子供)

にならないといけない、子供として。


~~~~~~~~

神も元々持っておられた「自己中心性」。

他者に対して、自分の「自己中心性」が出ても

それを乗り切って愛して、成長するのが私達がトライすべき道と

言えるが、 もうひとつは、

「元心」から発揮するもの。


それは


「瞬時に発動する思いやりの情」。

マインド(肉心というのか、頭で浮かぶ情というのか)が発動する前に

発動する、無意識に発動するとても純粋な愛情。


元心にはこれがある、はずだ。

元心は全てを知っている。

何が良く何がおかしいのか、何が合い何が合わないのか、

何が価値があり何が価値が薄いのか、、、。



これを尊重して生きる練習をする。



デヴィッド・R.ホーキンズ博士著 「パワーかフォースか」「I(私)」
イハレアカラ・ヒューレン博士著 「ホ・オポノポノ」
シルバー・バーチの言葉集(モーリス、、氏 トランスレート)
スウェーデン・ボルグの言葉集
文鮮明博士の言葉集 + 言葉集解読研究会(教会本体での一般的な解釈とは異なる)
他、様々な広い次元をみる事ができる霊能者達

参考資料として尊重していた彼らの内容がようやく つながり出した。

とても嬉しく思うこのごろです。

(つづく)




神?は親だから

さて、

神?にも成長期間があり(現在はどうなのか何とも言えないが、創造前後と後暫く?)、

もともとご自身だけだったときには、

自己中心性(御一人だから普通)を持っておられた。

だから私達ヒトも自己中心性を元々持ち、それによって様々な問題を生みながら

生活を営み、歴史を営んでいる。


神?は、ヒトの成長期間で、ヒトにその自己中心性を乗り越えてほしく

‘他の為に生きる’人格を形成してほしいと願っておられる。

成長して、成長した神? のようになってほしい、

いや、神以上(親以上)の子供に成長してほしいと願っておられる。

親であれば、子供が自分よりもっと素晴しい人格を持ってほしいと願うのは

自然な親の情だ。


「神以上の人格」

とてつもない構想理想。

でも親なる神?は自然に思っておられる、、、と解釈するのは

普通だと思う。


再創造。


自己中心性質を持たぬ、いや、それを乗り切った生命体に成長して


再創造世界をヒトと共に造り上げたいとされる途上なのでは?


(つづく)  判断は個人次第です☆

ヒトの堕落性質の元

ヒトの堕落

堕落の定義は人によって宗教によって多少違う。


キリスト教(色々あるが)では、

「時ならぬ時に時のものをとって食べてはならぬ のに食べてしまった」

解釈は複数あるが、一般的には? 姦淫。

人間始祖の、間違った時に間違った相手と関係を持ってしまった事。

大天使ルシファー(蛇に)、エバ、アダム(→ あえてヒト型に象徴したかもしれない?)による堕落。

→ 失楽園 → 堕落の血統の人類歴史、、、


となっているが、どうか、、、。

~~~~~~~~~~~~~~~~

人間は明らかに生まれながらに堕落性質を持っている。

更に堕落を悪化させる可能性も秘めている。

もう本当に大変な堕落性質を持った歴史が続いている。


なぜ?


人類始祖が堕落してたから?


なぜそんな可能性を持たせて神?は創造したのか?


神?も成長期間があった?

神?は完全と言えば言えるが、初めは完全ではなかったと言えば完全ではなかった。

神?が愛する対象として森羅万象を創造したのは、

言ってみれば‘神?の自己中心性’。

というか、初めは御自身しか存在しなかったのだ空、‘自己中心’で当たり前。



と言うと多くの人に怒られそうだが。



‘神?は初めから完全で完璧だ(と言えば言えるが)’という枠をそのごとく単純に

頑なに守るなら、何も話が進めないが、、、。



‘神?はいわば 初めは自己中心性を持っていた。そして成長期間があった。

愛する対象の森羅万象、生命体を創造しようとしたときから

‘他の為に’という情が確立した。


そしてその愛する対象達が成長しながら、親なる神?の愛の大きさを

より感じるにしたがって、神も成長することになる。

親としての成長は子による?


神?が創造したヒト(地球人とその霊界圏のヒトや、 

他の宇宙意識、宇宙外意識《他次元》も?)は、

もともと自己中心性質を持っていた。創造主に元々あったので。

これはごく自然な(たぶん)ことだ。


自己中心性質を取り外して創造も可能だったのかは分からないが。


人類始祖以前に神?の事情、過程があったのだ。


(つづく)  判断は個人次第です☆
 


無になる まず無になる

初めは無だった

無は愛と一体だ

そうかどうか証明できなくても

じゃあ自分は愛から始める、と決めたっていい

まずは無になろうとしてみよう


無になるなり方の提案

1.始めは環境のより良い場所で。

空気の流れの良い所、天気の良い自然に囲まれた所、鳥のさえずり、川のせせらぎが聞こえる所etc,,,

でもベストは、普通の環境が良いと思う。

ごく普通の場所で、普通目の静かさで。部屋でも外でも車中でも。


2.目を瞑り、息をゆっくり吐く、吸う、吐く、、、どっちが先など考えなくて良い。

リラックスできる体勢で、手の指をきもち前方へ差し出す感じ、力入れない。

座って太ももの上に手を乗せとくようにしてやってもいいので。

ゆっくり呼吸しながら、手の指から足の裏から、自分の持っているエネルギーを全て、全て地へ

流しだしてしまう感じ。空気中に、天に、流しても良い。

自我の全てを ‘手放す’ ‘明け渡す’ 天にでも 神にでも 

大宇宙の大いなる大元のエネルギー(それは愛を持ったエネルギーとも言える)にでも良い、明け渡す


今までの失敗、嫌な事、恥ずかしかった事、名誉な事、面白かった事、良い思い出、嫌いなもの、好きなもの、

大事なもの、家族、友人、疑いの思い、ずっと信じていたもの、固く信じていたもの、重荷、悩み、

慢心してしまう誇らしかったもの、何でも全てを、全てを明け渡しゼロになる

大地に、空気に、天に、渡してしまう。

始めはなかなか手放せないものもある。

でも手放して楽になろう。軽くなろう。愛あるものがそれを変わりに受け止めてくれるから大丈夫。

自分を空っぽにする。瞬時に色んな思いがヒュッと入ろうとするが、

それを落ち着いてまた手放す。手放し続ける。

入るものをあきらめずに手放す。

大事と思うものも手放す。大丈夫、捨てるのではない、大いなる存在に 明け渡すのだ。

上手くできなくても、またトライする。次回にできるかもしれないから、

次回にまたトライする。


いつしか、

とっても軽くなり解放される瞬間がある。

私の場合は、宇宙にひゅうーッと上がった感覚のときがあった。

なにか大いなる存在、安堵できる存在と一体になった感覚があった。

すると、自然と笑みがこぼれる。涙がにじむ。無邪気な笑顔になる。

会えましたね、という思いがわく。

しばらくそれに静かに身をゆだねる。、、、楽しい幸せなひととき、、、。



自然に目を開けていく。

瞬間、全てがいとおしく見える、思える。笑みがわく。

ありがとう、感謝します という思いがわく、、、。


あくまでも自分のふと思い沸いたやり方がいいです。
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ハナブキテン

Author:ハナブキテン
今よりもっと幸せになる、自分でできる日常のヒーリング、目醒めていく、などについて書かせて頂いております。そのなかで宇宙歴史を掘り探ったり、絵を描いたり、アメリカでの子育て失敗成功談なんかも書いています。いつも西の海を向いて日本の幸せを念じながら、魂修業する40才+∞のオバチャンです~。

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