元心 が全て分かる
元心、、、という日本語はありませんが、私が作った造語です。
祖心、素心、原心、源心、原始心、本心、魂、良心、、、
どれがしっくりくるかなあと思いましたが。
本心、魂、良心(これら既にある言葉)は、地球人的なレベルの元の心、
という感じが個人的にはします。
元心、、、元々どんなヒトにもある本髄の情というか、
情の中の本能にも似た、
在って在る‘良い’情、
そのヒトのみが管理しうる、
創造の神も手出ししずらい、瞬時に発動する情。
これによって親なる神様が願う
「親なる神以上(親以上、親を乗り越えた)」の
本当の孝行息子娘になれる希望の要素のもの。
( ↑↑↑ なれるなれないは別としてですが)
‘神ははじめ御自身のみだったので、自己中心のお方だった’
というのはごく自然のことだ。
愛する対象を創造しようとしたときから
「他を愛する、他の為に生きる、尽くす」
という存在に成長された。
対象の状況に伴い、さらに成長された。
神は元々在って在るお方。初めから完全完璧で完結したお方、と
単純に定義づけてしまうなら、神様にたどり着くのには
限界の壁ができてしまう。
~~~~~~~~
創造理想世界、天国世界(地上の天国、霊界の天国、他次元の天国?含む)は
どのようにしたらできるかというと、
お互い理解しあい愛し合い、、、
為に生きる私達となり、家庭レベル、氏族レベル、民族レベル、
国家レベル、世界レベル、宇宙(他次元含む)と霊界つつんだレベルで
親のような無私の情で他を愛することが自然にできるように、、、。
「為に生きる」 とは
他が存在してのこと。
神は元々御自身のみだったゆえに自己中心要素を
備えた存在で、神が創造した私達は
元々自己中心、利己心を備えている。
天国人、天国世界を造るためには
まず、「自己中心」から創られた対象があってはじめて
「他のために生きる」のが可能になる。
けして自己中心要素を受け継いだままの状態でその欲のまま生活しても
天国はできない。
神も成長期間でそれを乗り越えたように、
ヒトも乗り越えて、成長した神と同等(ゼロの地点)、
そして神以上(親を乗り越えた子供 → 親が嬉しくてたまらない子供)
にならないといけない、子供として。
~~~~~~~~
神も元々持っておられた「自己中心性」。
他者に対して、自分の「自己中心性」が出ても
それを乗り切って愛して、成長するのが私達がトライすべき道と
言えるが、 もうひとつは、
「元心」から発揮するもの。
それは
「瞬時に発動する思いやりの情」。
マインド(肉心というのか、頭で浮かぶ情というのか)が発動する前に
発動する、無意識に発動するとても純粋な愛情。
元心にはこれがある、はずだ。
元心は全てを知っている。
何が良く何がおかしいのか、何が合い何が合わないのか、
何が価値があり何が価値が薄いのか、、、。
これを尊重して生きる練習をする。
デヴィッド・R.ホーキンズ博士著 「パワーかフォースか」「I(私)」
イハレアカラ・ヒューレン博士著 「ホ・オポノポノ」
シルバー・バーチの言葉集(モーリス、、氏 トランスレート)
スウェーデン・ボルグの言葉集
文鮮明博士の言葉集 + 言葉集解読研究会(教会本体での一般的な解釈とは異なる)
他、様々な広い次元をみる事ができる霊能者達
参考資料として尊重していた彼らの内容がようやく つながり出した。
とても嬉しく思うこのごろです。
(つづく)
祖心、素心、原心、源心、原始心、本心、魂、良心、、、
どれがしっくりくるかなあと思いましたが。
本心、魂、良心(これら既にある言葉)は、地球人的なレベルの元の心、
という感じが個人的にはします。
元心、、、元々どんなヒトにもある本髄の情というか、
情の中の本能にも似た、
在って在る‘良い’情、
そのヒトのみが管理しうる、
創造の神も手出ししずらい、瞬時に発動する情。
これによって親なる神様が願う
「親なる神以上(親以上、親を乗り越えた)」の
本当の孝行息子娘になれる希望の要素のもの。
( ↑↑↑ なれるなれないは別としてですが)
‘神ははじめ御自身のみだったので、自己中心のお方だった’
というのはごく自然のことだ。
愛する対象を創造しようとしたときから
「他を愛する、他の為に生きる、尽くす」
という存在に成長された。
対象の状況に伴い、さらに成長された。
神は元々在って在るお方。初めから完全完璧で完結したお方、と
単純に定義づけてしまうなら、神様にたどり着くのには
限界の壁ができてしまう。
~~~~~~~~
創造理想世界、天国世界(地上の天国、霊界の天国、他次元の天国?含む)は
どのようにしたらできるかというと、
お互い理解しあい愛し合い、、、
為に生きる私達となり、家庭レベル、氏族レベル、民族レベル、
国家レベル、世界レベル、宇宙(他次元含む)と霊界つつんだレベルで
親のような無私の情で他を愛することが自然にできるように、、、。
「為に生きる」 とは
他が存在してのこと。
神は元々御自身のみだったゆえに自己中心要素を
備えた存在で、神が創造した私達は
元々自己中心、利己心を備えている。
天国人、天国世界を造るためには
まず、「自己中心」から創られた対象があってはじめて
「他のために生きる」のが可能になる。
けして自己中心要素を受け継いだままの状態でその欲のまま生活しても
天国はできない。
神も成長期間でそれを乗り越えたように、
ヒトも乗り越えて、成長した神と同等(ゼロの地点)、
そして神以上(親を乗り越えた子供 → 親が嬉しくてたまらない子供)
にならないといけない、子供として。
~~~~~~~~
神も元々持っておられた「自己中心性」。
他者に対して、自分の「自己中心性」が出ても
それを乗り切って愛して、成長するのが私達がトライすべき道と
言えるが、 もうひとつは、
「元心」から発揮するもの。
それは
「瞬時に発動する思いやりの情」。
マインド(肉心というのか、頭で浮かぶ情というのか)が発動する前に
発動する、無意識に発動するとても純粋な愛情。
元心にはこれがある、はずだ。
元心は全てを知っている。
何が良く何がおかしいのか、何が合い何が合わないのか、
何が価値があり何が価値が薄いのか、、、。
これを尊重して生きる練習をする。
デヴィッド・R.ホーキンズ博士著 「パワーかフォースか」「I(私)」
イハレアカラ・ヒューレン博士著 「ホ・オポノポノ」
シルバー・バーチの言葉集(モーリス、、氏 トランスレート)
スウェーデン・ボルグの言葉集
文鮮明博士の言葉集 + 言葉集解読研究会(教会本体での一般的な解釈とは異なる)
他、様々な広い次元をみる事ができる霊能者達
参考資料として尊重していた彼らの内容がようやく つながり出した。
とても嬉しく思うこのごろです。
(つづく)
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